インタビューを通して貴重なお話を聞き、自分の”今”を見つめ直すことを目的としている本企画。
今回は福岡の筑紫女学園大学の准教授で社会学を研究している花野裕康先生にインタビューを行った。
先生の写真撮るの忘れた。
が、花野先生は本当にいい人なので写真をわざわざ送って下さった。
本当にすみませんでした。
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「ワカモノだった時は本当に”揺れて”いました。音楽と学業との間で、それから、友人とも。」
今回お話を伺ったのは、筑紫女学園大の花野裕康准教授。
普段の授業での、ジョークや小噺を交えながらユニークな講義を進める彼の声は、少しトーンを下げて彼の過去を語る。
問題児だった。陸上少年
「小学校までは至って普通の生徒でした。むしろ勉強しなくてもそこそこの成績は取れていたくらいで。
ただ、中学校に上がって陸上部に入ってからは陸上にのめり込んだせいもあってか成績が一気にぐんと下がってね。数学以外が全くできなかった。
数学だけは好きでまともに勉強してたから頭一つ抜けてよかったんだけど他はもう笑
成績表も1と2ばっか笑
おまけに当時はすごく素行が悪くて。僕が授業中におもむろに手をあげて、先生が”どうした?”って言ったら僕は”すいません、やりたくないので授業抜けていいですか?”って笑
無茶苦茶ですよね笑」
インタビューの始め、先生は当時を少し懐かしむように語られていた。陸上に明け暮れていた中学時代。少し素行が悪いため(本人曰くそれだけではないらしいのだが)当時の教職員からはかなり”問題児”扱いされていたそう。だが、当時の記憶は懐かしいなという気持ちを抱けるものであった。
しかしその朗らかな声は少し曇る。
「当時は陸上に打ち込んでいたので、陸上の選手になろうと思っていた時期もありました。でも、やっぱり上には上がいるというか。僕は市大会や県大会では負けなかったんですけど、もっと大きな大会に出ようとすると、”あ、これは勝てない”ってなって。壁にぶつかってしまったんですね。」
自分が活躍できる場所である陸上で挫折を経験した花野少年。
彼はここから少しづつ人生の正規のレールからはみ出して行く。
「福岡の福岡大学附属大濠高校に合格したんです。自分でもなんで受かったのかよく分からなかったけど、すぐに陸上部に入れって言われたので『あっ』て笑
でもその陸上部は1日でやめました。学校も十回くらいしか行きませんでした。理由はシンプルに女子がいない『男子校』に行きたくなかったから笑」
そう、今現在大学の教授をしておられる花野先生であるが、なんと高校は出ていないのだ。
「この話を聞くとみんなそういう顔するんですよ笑」
インタビュアーである私の顔が少し顔が引きつっていたのか、先生は私の顔を指摘して笑う。
バンドとの出会い
「中学で陸上に行き詰まってから、福ビル(福岡の天神にある福岡ビル)のYAMAHAにドラム教室があるのを知って、ふと行ってみようかなって思ったんです。それがバンドとの出会いでした。」
「最初は大学生の人たちと組んで音楽活動してました。でもこのまま中卒でフラフラバンドばっかしててもまずいかなって流石に思って、大検(今の高卒認定試験)を受けて、運よく一発で受かってしまったんですよ。
だから調子に乗ってしまって。なんせ同級生たちはまだ高校に在学中でしたからね。”俺は高校出てないけど他の奴らより早く大学を受ける権利を得たんだ”って、自分は他の奴らより頭が良いんだって思っていました。」
しかし当時の自信は初めての大学受験で脆くも崩れ去る。
「そりゃ受からないですよ。変に余裕持ってたせいで全然勉強しませんでしたからね。仕方がないので20歳の時博多駅前にできたの代ゼミに行きました。
「ライブハウスの”DRUM"って前は1店舗だけだったんだよ。今となってはLOGOSなんか、Zepp福岡が移転のため一旦無くなった福岡では最大規模のハコ(ライブハウスの別称)だしね。」
へぇ、そうなんだ。と私も深く頷く。
「あと当時は僕ロン毛で。今は禿げてるけど笑
その頃はロン毛って言葉もなかったくらいだから、近所でも噂になった。ロン毛ってだけでまともにバイトもできなくて、仕方がないから普段練習してた音楽スタジオでバイトしてたんですけど、まあそこは今で言うブラックバイトってやつで。今労基が捜査したら即刻アウトでしょうね笑
友達と二人でシフトに入った時は”じゃあこれ二人で分けて”って一人分の給料を渡されたことなんかもありました。」
多浪、それから社会学との出会い。九大大学院へ
その後22歳で東京の私立大学に合格した花野先生は体を壊したこともあり一年で福岡へ戻り、24歳の時福岡大学の人文学部に合格し、進学する。
「大学二年生は僕にとっての人生の転機で、初めて社会学と出会った時なんですよ。その時の社会学の先生の授業が面白くて、特に今まで自分が”社会”と言うものとうまく馴染めなかったのもあって、この学問にとても興味が湧いたんです。」
遅咲きの彼はこの時初めて社会学という学問に触れることとなる。
今まで社会のレールの外を突き進んできた彼にとって、”社会”を学問として見つめ直すということは非常に興味深いものであった。
そして花野先生は27歳の時大学院に行き、社会学を専攻することを決意。
28歳の時、かの難関大学である九州大学の大学院に見事合格する。
「まあ正直大学院に行くしかないって感じだったんですけどね笑
当時のゼミの教授に”お前がまともに就職できるわけないだろう”って、本当にその通りで、今まで社会の正規の枠組みから離れて生活してきたわけですから、もうまともに就職なんかできるわけないですよ笑
そこで大学院に行くことに決めて、28の時九大の大学院に無事合格できました。」
やっと社会学者としての道を歩み始めた花野先生。
一般的な大学院生であれば、ストレートに院まで行けば22歳で院入学の年だ。一方で先生は28歳。年齢的に何か不都合なことはなかったのだろうか。
「ありましたよ。入学して最初にびっくりしたのが院の助手が僕より年下だったこと笑
えぇ...って感じでしたね、まさか自分が助手より年上とは笑」
周囲の状況に戸惑いながらも順調に社会学を極める日々。院を出た後は大学、専門学校の講師として教壇に立つ事になる。
そして35歳の時、山口に新しくできた大学の専任講師となり、その大学では准教授までランクをあげる。
「本当はそのままそこの大学で教えようと思っていたのですが、妻方の家族に不幸がありまして。また介護も必要になってきたので福岡に戻る事になったんです。
2010年に、ありがたい事に福岡大学さんからうちで非常勤として教えてみないかって誘われて。で、その後いま専任で勤めている所からも話が来て、今に至ります。」
社会学の面白さとは
「良くも悪くも何でもあり、という点が社会学の面白いところではないですかね。
例えば僕の場合なんかはいくら社会学に関係があるとはいえ、邦ロックやアイドルなんかを取り扱っている。
もちろんこれは音楽社会学っていうれっきとした学問なんですけど。やっぱり社会学ってすごく自由度が高いんですよ。ただそれが原因で”これだから社会学は”って言われることもあるんですけどね。」
元々バンドをしてたこともあって現在は筑女大の軽音部の顧問も勤めている先生は研究している社会学でも音楽を取り扱っており、そんなワカモノ時代に巡り合った音楽を研究することは、自由度の高い社会学だからこそなせる業であろう。
ワカモノ時代を振り返って
「19歳の時はとにかく揺れていました。まずバンドを辞めて代ゼミへ行く時。音楽を諦めるという選択をする時にも迷いが生じましたしその時ちょうど地元のある有名バンドからドラムでうちに来ないかっていうオファーが来ていて、結果的には断ったんですけど。ちょうど19歳は音楽から勉強への方向転換の時期でしたね。
それから、文理選択にも迷ったんです。代ゼミに行って数学の面白さにハマってとりあえず大学行ったら数学科行くぞって漠然と考えていたんですけど、よくよく考えてみれば数学ってあんまり実社会と関わりがないなって気がして。どうせやるなら実際の社会と繋がっている学問がやりたいなって思ったので結局文転しました。
また当時の同年代のプロのミュージシャンになった友達の活躍とかを聞いてしまうとやっぱり心が揺れてしまったりして。
今考えると当時は本当に”揺れて”いましたね。」
19歳というとまだ世間的には未成年でギリギリ子供扱いされてしまう年齢だ。そんな時期は精神的にも未熟な為か人生の撰択を迷ってしまうことが多々ある。先生の言葉を借りれば”揺れる”時期である。
また、彼にとって25歳の時は社会学というものと出会う、運命の時期であった。彼はある意味人生のパートナーとも呼べる学問に出会ったのもワカモノと呼ばれる時期の終わり目に出会ったのだ。
ワカモノたちへ。人生の先輩から、
「今の子たちは良くも悪くも優しいし、おとなしいです。昔はもっとお互いのディスりなんかが激しくて。今は例えばツイッターとかで『弾いてみた』みたいな動画が回ってきても”素敵ですね”っていうでしょ?こんなの昔だったらありえない笑
下手くそが、とか調子にのんじゃねえって書き込みがされるのがオチでしょうね。
ただ、やっぱり状況志向型な子(複数の自分らしさを抱えており、場面や状況に応じて自分のキャラを変えることが出来るワカモノ)が多いからか、SNS上で結構仲よさそうにしていても、裏でボロックソに叩いてるなんてのもありますしね。その辺は僕らの頃とは違いますね。」
また、私がある事業を起こそうとしたときに人の集まりが悪かったことを話したときも、今の子たちはおとなしいねという意見を頂いた。
「でも、その反面アクティブな子たちはすごく活動的で、例えば今福岡大学や筑紫女学園大学でもベンチャー起業(企業)論って授業があるけど、今どんどん学生ベンチャーが生まれているから、そういうところはすごいなって思う。僕らの時はそういう風潮なかったもん。」
そう言って終始優しそうに笑う彼からは僕ら世代に対する苦言はインタビュー中ほとんど出ることはなかった。
私は今回インタビューをする前、「ある程度のワカモノに対してのディスりは覚悟しよう」と思っていたのだが、思いの外ワカモノに対する姿勢が穏やかであったので私は逆に拍子抜けしてしまった。
しかし、この彼の寛容な姿勢こそ、あらゆる事象から問いを立て、どんな角度からの研究も全て抱擁してしまう社会学という学問の姿を表しているのではないか。
「どんな形でもいい。頑張れよ。」
彼の背中からはそんな思いが伝わってきた。
written by 島
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